らくらんとにんたまについて語りつつ
そのほかいろんなことを語る日記なぶろぐ。
ネタバレとか腐発言とかあるかもしれません。
画像もあるかもしれません。
電波かもしれません。
Category : 未選択
さかもとまーやちゃんの曲で、
今 この頬に 触れたその指先が
優しく語った きっと訪れる 私たちの
別れの日の ことを 限られた時間の 中で
あと いくつのものを あたえあうの?
とゆう歌詞の曲があるのですが、コレで昨日はタカくく考えてたんですね。しかし聴いてたらむしろ竹孫ソングなんじゃないかという可能性に行き着きました。
孫兵って、いろんなペット飼ってきたわけだから当然それらが産まれるのも死ぬのも何度となく経験してきていると思う。室町版だと時代的に生き死にがリアルに身近だから、それ(生き物の死に際を沢山経験していること)が逆に死を受け入れる強さに繋がるかもしれない。しかし現代版において、生きることも死ぬことも希薄にしか感じられない日々の生活で、孫だけは生のなかに死の影を見てしまうのではないかと思う。
頬に触れた竹谷の手の温かさを、いつかどちらかが死んだら感じられなくなるんだなって思っちゃうみたいな。
一方タカ久々においては、室町でも現代でもタカ丸はタカ丸なので、浮気をされるんじゃないか飽きられるんじゃないかと常に久々知が内心怖れていて、昨日帰りが遅かったタカ丸が今日はいつもより優しくて(性的な意味で笑)寝たふりをする兵助君の頬をさらさらと撫でていて、あぁ他のやつにもこんなふうに触れるのかなって思ったら泣きそうになって寝返りうってごまかした。みたいな。
竹孫における終わりは死別で、タカ久々における終わりは別れってかんじ。竹谷とタカ丸の人間性の違いによって、受けの子に与える不安はこんなにも違うのですね!
作品世界に終わりのない落乱において、二次創作で終わりを描こうとするのは当然の流れであるとも思う。その逆もまたしかり。
いつかちゃんと描きたいなー
あと予告編をどうにかせねば!!!正直忘れてたよね…はは
今 この頬に 触れたその指先が
優しく語った きっと訪れる 私たちの
別れの日の ことを 限られた時間の 中で
あと いくつのものを あたえあうの?
とゆう歌詞の曲があるのですが、コレで昨日はタカくく考えてたんですね。しかし聴いてたらむしろ竹孫ソングなんじゃないかという可能性に行き着きました。
孫兵って、いろんなペット飼ってきたわけだから当然それらが産まれるのも死ぬのも何度となく経験してきていると思う。室町版だと時代的に生き死にがリアルに身近だから、それ(生き物の死に際を沢山経験していること)が逆に死を受け入れる強さに繋がるかもしれない。しかし現代版において、生きることも死ぬことも希薄にしか感じられない日々の生活で、孫だけは生のなかに死の影を見てしまうのではないかと思う。
頬に触れた竹谷の手の温かさを、いつかどちらかが死んだら感じられなくなるんだなって思っちゃうみたいな。
一方タカ久々においては、室町でも現代でもタカ丸はタカ丸なので、浮気をされるんじゃないか飽きられるんじゃないかと常に久々知が内心怖れていて、昨日帰りが遅かったタカ丸が今日はいつもより優しくて(性的な意味で笑)寝たふりをする兵助君の頬をさらさらと撫でていて、あぁ他のやつにもこんなふうに触れるのかなって思ったら泣きそうになって寝返りうってごまかした。みたいな。
竹孫における終わりは死別で、タカ久々における終わりは別れってかんじ。竹谷とタカ丸の人間性の違いによって、受けの子に与える不安はこんなにも違うのですね!
作品世界に終わりのない落乱において、二次創作で終わりを描こうとするのは当然の流れであるとも思う。その逆もまたしかり。
いつかちゃんと描きたいなー
あと予告編をどうにかせねば!!!正直忘れてたよね…はは
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Category : 未選択
何が悪いのか?わたしの日頃の行い?
光になったはずなんだけどな…
そうそうさっきやってた雨対話、えヴぁ芸人でしたね。ナカタの力説ぶりに爆笑。わたしはたしか中1くらいで全話見たんですが、問題の最終回はさほど違和感無く受け入れていたように思います。まぁ理解を超えていたともいえますが。
うちの兄は中学生当時、レイでもアスカでもなく、カヲル君のキラカードを生徒手帖に入れていたそうです。
女性陣ではリツコさんかマヤさんが好きだそうです。
兄はホモではなくナルシストです。
しかしヲタ文化を論じるにあたってエヴァはひとつの節目でしょう。と先駆者たちも言っていました。ポストモダンの申し子!
そう、折しも今日読んでいたのは「網状/言論F改」。現代ヲタ文化についての批評集です。電車の中で読んでいたらエロマンガ論のページでオヤマァな図表が載ってて冷や汗かきました。
まぁ文脈通り、わたしは現代ヲタク論とかに興味があるわけなんですが、それもすべて自分のことが知りたいだけなんだなぁと、まぁ身勝手な理由なんです。
そうして明日は、マンガ論というかジェンダー論というか、やおい論を聴講しにゆくのです!わーい!
なんでわたしらはホモが好きなのか…答えが見つかるかもね!
光になったはずなんだけどな…
そうそうさっきやってた雨対話、えヴぁ芸人でしたね。ナカタの力説ぶりに爆笑。わたしはたしか中1くらいで全話見たんですが、問題の最終回はさほど違和感無く受け入れていたように思います。まぁ理解を超えていたともいえますが。
うちの兄は中学生当時、レイでもアスカでもなく、カヲル君のキラカードを生徒手帖に入れていたそうです。
女性陣ではリツコさんかマヤさんが好きだそうです。
兄はホモではなくナルシストです。
しかしヲタ文化を論じるにあたってエヴァはひとつの節目でしょう。と先駆者たちも言っていました。ポストモダンの申し子!
そう、折しも今日読んでいたのは「網状/言論F改」。現代ヲタ文化についての批評集です。電車の中で読んでいたらエロマンガ論のページでオヤマァな図表が載ってて冷や汗かきました。
まぁ文脈通り、わたしは現代ヲタク論とかに興味があるわけなんですが、それもすべて自分のことが知りたいだけなんだなぁと、まぁ身勝手な理由なんです。
そうして明日は、マンガ論というかジェンダー論というか、やおい論を聴講しにゆくのです!わーい!
なんでわたしらはホモが好きなのか…答えが見つかるかもね!
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室町時代なんてのは、夜になると本当に真っ暗になったんだろう。
すると昼と夜、光と闇の対比がしっかりついていて、人間の世界と「それ以外」の世界と、互いの領域は侵されざるものとして考えられていただろう。少なくとも朝起きて夜寝る一般の人間には。
しかし光と闇はまた互いに不可分である。
普通の人間が光の世界にいるならば、忍者は闇の世界にいる。きれいごとだけでは進まない政治の裏の仕事なんかを引き受けるわけだから。闇が迫ればおいらの世界だから(笑)。
闇に身をやつすというのはある意味、人間から外れて「それ以外」になるということかもしれない。
それでも昼間は普通の人間のふりをしていなければならないから、本当に紙一重なところで闇に呑まれないように、正気を保たなければならない。忍者は闇に潜みながら闇に取り込まれないように、なにか自分のなかに光を持っていたのかもしれない。それは宗教的なものかもしれないし、自分の大切な人のことかもしれない。
しかしまた、闇の仕事をするときにはその光が邪魔になることもあるわけで。まぁ光にも闇にも片寄らないように使い分けなきゃいかんというのは、ひどく難しい生き方だろうと思う。土井先生でなくても胃を壊すわ。
まぁ実際のとこ、闇の道さえ光の道だと思い込めるような、宗教観に基づいた政治的イデオロギーでもあったんだろうな、というのが正直な考察だけれども。そっちに話の主題を持っていくと少年マンガ、心の灯に主題を持っていくと少女マンガ、というのはあまりにも安直か。
しかし途中、CCさくらみたいな話でしたね
忍者と闇についてでした
すると昼と夜、光と闇の対比がしっかりついていて、人間の世界と「それ以外」の世界と、互いの領域は侵されざるものとして考えられていただろう。少なくとも朝起きて夜寝る一般の人間には。
しかし光と闇はまた互いに不可分である。
普通の人間が光の世界にいるならば、忍者は闇の世界にいる。きれいごとだけでは進まない政治の裏の仕事なんかを引き受けるわけだから。闇が迫ればおいらの世界だから(笑)。
闇に身をやつすというのはある意味、人間から外れて「それ以外」になるということかもしれない。
それでも昼間は普通の人間のふりをしていなければならないから、本当に紙一重なところで闇に呑まれないように、正気を保たなければならない。忍者は闇に潜みながら闇に取り込まれないように、なにか自分のなかに光を持っていたのかもしれない。それは宗教的なものかもしれないし、自分の大切な人のことかもしれない。
しかしまた、闇の仕事をするときにはその光が邪魔になることもあるわけで。まぁ光にも闇にも片寄らないように使い分けなきゃいかんというのは、ひどく難しい生き方だろうと思う。土井先生でなくても胃を壊すわ。
まぁ実際のとこ、闇の道さえ光の道だと思い込めるような、宗教観に基づいた政治的イデオロギーでもあったんだろうな、というのが正直な考察だけれども。そっちに話の主題を持っていくと少年マンガ、心の灯に主題を持っていくと少女マンガ、というのはあまりにも安直か。
しかし途中、CCさくらみたいな話でしたね
忍者と闇についてでした
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